totoBIG 当選研究会。

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当選占い

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開運談

神様は意外と万能ではない。

「神様。~お願いします。」と神頼みをしたことは幾度となくしたことがある。 神様のイメージは手をかざし一振りすればあら不思議!たちまち願いが成就。なんて本当か? 古事記には淡路島・四国などを造り出したイザナギ・イザナミがアマテスラオオミカミ・スサノオ・ツクヨミを生み出し、 アマテスラオオミカミは引きこもり(天の戸隠れ)、スサノオは姉であるアマテスラオオミカミと姉弟喧嘩をする。 オオクニヌシ(因幡の白兎)は人間と発想も行動もあまり変わらないこと、ヤマトヤケルはすでに神ではなく寿命のある人間であることが記されている。 古事記も知らない神主が多いこと多いこと。 仏教では高価な上位戒名を買う、高価なお布施をする、高価なお墓を用意する。故人にとって有意義なのか一度故人に聞いてみたい。 葬儀で喪主を務めたことがあるが、お坊さんに「如何ほど包めば良いか」と聞くと即答で「20万!」と言われ、 詰まり詰まり、カミカミのお経で覚えていないことはその場にいた皆は分かっていた。 人徳のあるお坊さんのお説教は有り難いが、ビジネス坊さんの能書きは必要ない。 後継者争いの姉弟が殺し合う神主、境内で飲食店を経営する住職。屋内の自動開閉式のお墓、AIでお経を聞かせるのは便利ではあるが、故人の為か、自分の為か、意味はあるのか。 「私のお墓の前で泣かないで下さい~そこに私いません~♪」なんて歌もある。はっきり言って宗教って分かりません。 1枚の故人の写真を飾り、時折、故人との生前の思い出や教えを胸に日々の生活に精進することの方が大切な気がします。 「神様。~お願いします。」とは、反省・後悔・不安・恐怖・決意を自己で整理し自問自答する行為であると考えます。

正しく生きてこそ開運成就。

善人は天国へ。悪人は地獄へ。どちらが運をもっているか。 天国も地獄も外見は同じ。うどんの釜があり物干し竿の様な長い箸を渡される。 地獄では我先にと食べられない。天国では「お先にどうぞ」と食べさし合う。 自分を儀牲にし、他人のことを考え善人かと自問するとNOである。 通勤時の満員電車。我先にと電車に乗り込み、リユックが邪魔で不快になり、 混んでるい中でスマホを背中にぶつけられて不快になる。皆黙々と平然を装いできるだけ考えない様にして耐える。 時には耐えきれず小競り合いがになり喧嘩が始まる。その中で小さな自己犠牲を貫けるか。 私は善人ではない。満員電車で不快な気持ちになるのは当たり前、小競り合いが始まるのは生物的にある意味正しいと考える。 そんな時2秒待ちルールを実行する。2秒だけ待つことでいろんなことが変わってくる。 人の流れが交差する出入り口で2秒待つだけで円滑な流れができることや、 不快思いをした時2秒ほかのことを考えると感情が制御たりする。 善人は無理でも知恵を使い少しでも粋な人生を送りたい。

なぜか確実な開運方法。

学生時代に英単語を暗記すれば、なぜか分からないが運がつくことは知っていた。 記憶の訓練によりα波が発生し、良い行いや良い言動につながり、自分に戻ってきているのだろうとα波こそ開運の源ではないかと考えていた。(一度α波を測定してみたい。) 人生経験を重ね、成功者の自叙伝や人間観察で行動から結果の検証をしていくにつれ実は記憶からα波が出るのではなく、没頭から開運につながるα波だ出る様な気がしている。 誰もがやっている集中ではなく、食事することを忘れ、睡魔も感じない程の没頭が必要で毎日、三食食べることのできる環境や少し我慢すれば困難が去る様な環境ではなかなか出来ない行為である。 ”長年の努力”とか、”すごい努力”とも違う没頭と言う行為。”努力しました”、”努力しました”の中には無い行為。 うまく説明できないが没頭を達成した時に何か力が作用し想像通りの結果を得ることができる。これを開運と言うのだろう。 ただ、没頭した人は必ず成功していることは事実である。一生に一度、本当に窮地に追い込まれ、 本当の没頭 をしたとき大きな開運が下りてくるかを検証してみることにする。